告知など


2010-05-10 [Mon]

コンテンツのフラット化とアニメの現状

とりとめもなく、思ったことの断片を。

「みんなが同じテレビ番組を見て同じ音楽を聞く時代なんかとっくの昔に終わっているんだよ」的なことは、良く言われることだし、僕もずっと言ってきたことだ。おそらくそれは間違っていない。

過去から現在までの多種多様なコンテンツがフラットに検索可能な状態でネット上に置かれ、個人ごとの様々な趣味にあわせて消費される。そういう小さな流通コミュニティが沢山できあがる(なぜなら、ネットのコミュニティ構築には金銭的コストがほとんどかからないから)。

「実際、今のオリコンチャートみてみなよ。一位だって大した売れていないし、アニソンばっかだったりもするじゃないか」つまり、マイナージャンルであるはずのアニメソングが上位に入れるくらいに他のCDが売れていない。

いや、ちょっと待って欲しい。アニメは?アニソンはマイナージャンルではあるけれど、マイナーなりに売れているということ?

という視点で考えると、「みんなが同じ番組を見て、そこに発生する文脈を消費している」という、我々が捨てつつあるマスメディアの消費形態が、アニメファンの間では現在進行形だということだったりしないだろうか。

もともとアニメファンはマイノリティだったのが、インターネットで繋がりやすくなり、YouTubeとニコ動で地方の人も首都圏U局しかやっていないアニメを見れるようになった(そう、これ重要)。そこで一致団結して、マスコンテンツを消費している。

例えばライトノベルなんかは、レーベルが沢山、出版される本も沢山、という中で、それなりにマイナーなファンがついてコアに残るというのもギリギリ成立しているような気がする……いや、成立しているか?

いやいや、何を言いたいかと言うと、ラノベで「ものすごく売れている」のはアニメ化された作品で、アニメを見ている(そして普段はコアなラノベファンではない)人が大量に流れ込んで買っているように見える。その次の「売れている」は次のアニメ化候補の順番待ちの列だ。

そうだとすると、ライトノベルもアニメファンの消費形態に引っ張られているので、無視はできない。

しかしアニメファンの消費形態は、もはや時代遅れとなりつつある、マス消費だ。

はて。

この流れはどこに進むのだろうか。ちょっといくつかの可能性を想像してみよう。

たとえばマス消費とは違う消費形態を持つアニメ作品。小規模に作って小規模に消費されるアニメ作品だ。これは果して可能だろうか。アニメの個人製作は理屈の上では不可能ではないけれど、でも音楽の宅録よりははるかに手間と時間がかかる。考えられるとすれば、全編3Dにするという方法。

あるいはマス消費のままアニメだけは突き進む場合。……どうなるんでしょうね。電波は有限で、別にアニメファンは電波を求めてはいない。ネット背信がばんばん使えるようになった場合、消費能力と生産能力がどこまで食い合えるかという話になる。ところで、アニメファンの消費能力ってどこからくるの?独身20代の消費能力を食いつぶすようになる?でもinputのcapacityを全部アニメに持っていかれて、他の世界からのinputを受ける余裕はある?マス消費するコミュニティで閉塞した幸せな社会を作る?

作り手の側は?作り手の体制や規模はどう変わる?

えー、結論がないけれど、疲れてきたのでこのへんで。

悪い作家

これは刺激的。ドキドキ、いや、ワクワクしてきた。

http://twitter.com/himagine_no9/status/13712938622

三田委員「(現状では)悪い作家だけが原稿データを持っていればアマゾンKindle用に配信できる。そういう作家がいっぱい出たら、売れてる本がどんどんKindleに行って出版文化が壊滅する」

文化審議会著作権分科会での三田誠広さんの発言、みたいですな。

いや、本当にワクワクしてきた。

悪い作家。おいら、悪い作家。ひゃっほーって感じ。

過去の個人誌をSmashwordsで配布開始しました

過去に作った三冊の個人誌を、Smashwordsで販売しました。販売といってもフリーなので、全文閲覧もダウンロードも無料でできます。できればEPUBでダウンロードしてみて、iPadなんかで読んでみてください。

http://www.smashwords.com/profile/view/masahikokimoto


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