告知など
- 「勇者彼女がトイレから出てきません。」
- 彼女がうちのアパートに来たかと思ったらトイレに入って出てこなくて、 何をしているかというと、異世界で勇者をしている話。
- 「ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。」
- そろそろ子育てエッセイなどというものを書いてみようかと思った次第。
- 「小説生成システム開発計画 - プロジェクトNUE」
- 計算機に小説、いや、使い物になる文章を作らせてみようという試みを、 勉強しながらやってます。
2015-06-03 [Wed]
▼ スポーツジムに行き始めました
各方面からの「運動をしなさい」という声により、観念して運動することにしました。
最初はとりあえず一駅歩いてみようと思ったんだけど、一駅歩いたところにスポーツジムがあり、帰りにここに寄るのは悪くないかもと思って、見学してさくっと入会した。
ひとりで黙々とやりたいので、黙々とできる有酸素運動マシンとかを、黙々とやってます。
一時間くらい、黙々といくつかのマシンを。楽しいです。黙々。
で、ジムの人から色々説明受けたりして、気づいたことがありまして。
スポーツジムで働く人って、勝手なイメージだけれど健康的で前向きで明るいキャラの人ばっかりだと思っていたわけですよ。そして、そういう人ってのは、大学でもリア充サークルに入っている系の人ばっかりだと思っていたわけですよ。
実際、リア充サークル入ってそうな人が多かったんだけれど、おや?と思ったのですな。
みんな「説明」があんまり上手じゃない。喋り方も雰囲気だけで説得力がない。
同じコミュニカティブな人でも営業職タイプの人はそれなりに説明なんかのスキルがあるわけですが、そういうのがない。
うーん、なんだろうと思ったのですな。
だけど、考えてみれば、リア充系サークルでも、リーダーポジションになる人と、そうでない人がいるわけですよ。そしてぶっちゃけリーダーポジションの人はそれなりに頭の回転もいいだろうけれど、そうでない人はそうでもない。
「俺ら」業界だと、非コミュは内側にこもるわけですが、リア充系サークルで普通の人は、それでもコミュニカティブではあるので、きっと一生懸命リーダーポジションの奴の真似をするんじゃないかと思うんですね。
実際、説明してくれた説明あんまり上手じゃない人からは、「ああ、この人は誰かの真似をしようとして、いまいちできていないんじゃないかな」という印象を受けました。
それと多分、ちゃんとした指導も入らないんだろうな。
というわけで、リア充サークル系の人でもコミュスキル高いとは限らないのだなあ、という発見でありました。
現場からは以上です。
2015-06-17 [Wed]
▼ スポーツジムその後
二週間たちました。週に3日のペースで通っています。いい感じです。
夜のみのプランに入会したということもあり、会社の帰りに少し歩いてジムまで行って、運動して、帰るということをしています。
今日はジムあるから、それまでちゃんと仕事して、それから体を動かそうという目標があるので、一日のリズムが作りやすいです。
そして、運動している間は、無心になれます。最初は色々考え事をして、そこで頭の整理をして、やがてひたすら身体を動かすようになる。無心です。すばらしい。しかもひとりの時間です。
おもに有酸素運動の機械をやってます。漕いだり、歩いたり。ただひたすら、黙々と。
10分から15分を1セットとして、トータル1時間くらいやります。
終わったらシャワーを浴びるか風呂に入るかします。お風呂は足がのばせます。すばらしい。
そして、さっぱりして帰路につき、途中で飲むヨーグルト的なものを買って飲みます。なんでも運動の後には、糖質とたんぱく質の両方が必要みたいです。
運動した夜は、ぐっすり眠れる気がします。ジムが終わった後の短時間ですが、ああ自分はここでこうしていていいんだという自己肯定感に包まれつつ、眠りにつけます。
こんな感じで、うまいこと調子よくならないかなと思ったりしてます。
2015-06-21 [Sun]
▼ ちょっとしたオシャレというもの
家のキッチンに、コーヒーカップのようなカップがあって、それはアロマオイル専用なんですな。カップにお湯をいれて、アロマオイルをたらすと香りが立つ。ちょっとしたオシャーレなアイテムです。うちの奥さんは、こういう、ちょっとしたオシャーレがわりと好き。
で、そのカップを見る度になんか違和感があるなあと思っていたので、ちょっと自分なりに分析してみました。
まず、キッチンにコーヒーカップと似た形状のものがあったら、そのコンテキストにおいては、コーヒーカップだと認識されるわけですよ、普通は。
それをアロマオイルに使うというのは、妻が勝手に決めたルールにすぎない。あるいは、「コーヒーカップ状のアロマオイル入れがオシャレ!」と決めた誰か。
そのルールを知らない人には、コンテキスト的に通じない。仮に周知させようとしても、多分、息子は理解していない。
理解が難しい存在がいる場所において、ハイコンテキストな物体の混入は事故のもとになるので、安全管理という面では多分この存在は許されない。
しかし考えてみると、オシャレの方法論のひとつに「ちょっとルールを崩してみる」というのがあるように思う。それは、コンテキストをちょっと無視して、別のセマンティクスを与えてみる、ということである。
なるほど。
それは機能性と一見矛盾する。はたして、矛盾しない解法はないものだろうか。それがおそらく機能美と呼ばれるものなのかもしれないが。
難しいなあ。ハイコンテキストは、多分その把握にコストがかかると思う。ぱっと見た時に、あ、いけないいけない、これは普通のカップじゃなくてアロマ用、というのを思い出さないといけない。