告知など
- 「勇者彼女がトイレから出てきません。」
- 彼女がうちのアパートに来たかと思ったらトイレに入って出てこなくて、 何をしているかというと、異世界で勇者をしている話。
- 「ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。」
- そろそろ子育てエッセイなどというものを書いてみようかと思った次第。
- 「小説生成システム開発計画 - プロジェクトNUE」
- 計算機に小説、いや、使い物になる文章を作らせてみようという試みを、 勉強しながらやってます。
2015-11-01 [Sun]
▼ フレンチについて
今日、神楽坂のラリアンスに行ってきたんですよ。ランチで。奥さんが予約してくれたので。
ラリアンスはかつてミシュラン一つ星のレストランで(今は星がないらしいけれど)、結婚式もできます。
前回行ったのは4年前にディナーを食べて、その後子供が生まれてそれどころではなく、今回久しぶりに出かけました。
4年前とはシェフが変わっているらしいですね。今のシェフは和風を取り入れているとのこと。
でもって、今回ランチを食べて、「ああなるほど、フレンチというのは、こういう風に理解して、味わって、楽しむものなのか」というのが、ちょっと分かった気がするのですな。この年齢になって、何を言っているのかって話だけど。
食べながら、シェフはこういう風な意図を持ってこう作っているんじゃないかしら、っことが考えられるようになったのです。
食を理解するとは、こういうことか、と。
ま、大した理解じゃないけれど、経験上、こういう物の見方を手に入れた上で色々勉強すると、ちょっと上の力が身につくというものがあります。他のフレンチはどうなのだろう、日本の懐石料理はどうなんだろう、などと研究してみたい。
ということを考えながら風呂に入っていて、おや、しかし視界のクリアさがないなと気づきました。
30代の頃の僕は、本当に頭がクリアで、何か足りない知識があったら、よっしゃここらへんに突っ込んでやろうっていう意気込みもあったんだけど、今料理のことを考えてみて、知見を広げる土台となる理解は確実に生じている感覚はあるものの、それを道具にして色々取り込もうというクリアな視界や展望がない。
慢性的な閉塞感ってのは、この頃ずっと感じてはいて、端的に言うと、明らかに昔よりバカになっている。
年齢的にも折り返し地点だし、思考力や注意力の一部を常に子供に吸い取られているし、そりゃろくなパフォーマンスも出ないのは仕方がないとは思うけれど、この先の人生、下がる一方の自分の知力と都度都度折り合いつけながら生きるってのは、ちとつらいですな。
2015-11-24 [Tue]
▼ 茨城県教育委員のこと
ああ、もう、ちゃんとリンクとか張って整理しようと思っていたけれど、完全にタイミングを逃した。
JDSのニュースサイトで経緯がまとめられているので、そっちを見てください。
http://www.jdsnews.jp/p/contentsview.php?content_id=0000002559
さて。
この発言をした長谷川委員ですが、画廊の経営をしている人で、フランスとの繋がりが強いようです。
フランスという国は、少子化対策に成功した国ではありますが、同時に障害児を生ませないようにしている国でもあります。子供を産んで育てることは支援するけれど、健常児を産むのが前提ということですな。
長谷川委員が、そういうフランスでの例を見て、行政側からの働きかけで障害児が生まれてくることを減らせないのか、それによって支援コストを抑えることができるのではないか、という発言をしたとしても不思議ではないし、それにはフランスという実例があるのでまるっきり根拠のない発言ではないとも言えます。
この件が問題になったのち、長谷川委員は発言の撤回をしていますが、その論調は「この発言を不快に思う人(自分から見たら他人だけど)もいることに配慮が足りなかった(間違っているとは思わないけどね)」括弧内は推測ね。というものです。要するに他人事の発言なのですな。
その後、長谷川委員の発言を擁護した知事も弁明をしていますが、問題は発言撤回とか謝罪とか辞任とかじゃないと思うんですよね。
公的な立場の人が、公的な場で発言をする以上、それには根拠がなければならないと思います。
その根拠は科学的研究成果かもしれないし、個人の経験かもしれないし、どこかの事例に基づいてのものかもしれない。
少なくとも今回、長谷川委員は「自分が何を考えて何を根拠にこのような発言をしたのか」について説明していません。
「傷ついちゃったんだー、ごめんねー」としか言っていません。
知性がありません。
発言の根拠、背景をきちんと言語で説明した上で、そのロジックを日本で適用することの是非を議論するべきです。
知事の発言についても同じ。単に委員の面子に配慮して言ったのか、何も考えずに言ったのか、背景にきちんとした説明をつけて、その是非を論じるべきです。
それが知性というものです。
障害児の問題は、現実的に、「かつては生まれてこれなかった、生きられなかった子供が、医学の発展と、社会福祉のおかげで、生きて生活できるようになった」という側面があります。当事者たちは、常に自問自答をしながら社会と向き合うことを余儀なくされています。
だからこそ、感情論ではなく、知性と理性で考え、意見を交換し、議論することが大切なのです。
だから長谷川委員は、とんずらする前に、ちゃんと語ろうねってことです。