告知など


2010-05-20 [Thu]

続々・フラット化

学部生時代の1994年に、卒論についてうんうんと悩みながら、書いたメモがある。

その中で、これからのコミュニケーションは個人が広い世界を相手にするのだから(かつての電話は家庭対家庭のメディアだったが、電子メールは個人同士のコミュニケーションだし、ポケットベル(そういう時代!)もまた個人対個人のメディアだ)、そういうコミュニケーションモデルは、おそらく人間に新しい種類の精神的負担を強いることになる、しかし負けてはいけない、新しい環境に順応する必要がある、ということを書いた。

しかし、今佐々木俊尚氏が語るフラット化は、コミュニケーションが世界規模の個人対個人に広がった結果、小さな村社会的コミュニティがいくつも出来上がると述べている。そして、それはおそらく事実で、個人的感触とも一致する。

ここであえて、個人であっても世界と対峙する胆力を持てとか言い出すと、勝間和代的マッチョ論(などとうっかり書いてしまったが、僕は実は勝間和代という人がどういう人か良く知らない)になってしまう。

一方で、梅田望夫氏的な、好きなことを貫ける力を持った人がどんどん能力を開花させるための言説には納得ができる。

つまりなんなんだろう。

マスコミュニケーションは、細分化され村メディアに変化する。

一方でエッジの人達はボーダーのなくなった世界を舞台に高速に走り抜ける。

しかし両者は互いに容易に行き来できる、いや出来なければならない。実際、おそらく両者がコミュニケーションに使うツールは、同じようなものだ。いや、同じようなアーキテクチャであることを維持しないと流動性が失われてしまう。

そのあたりをどうかすると、個人的もにょもにょ感が薄れるだろうか。


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