告知など
- 「勇者彼女がトイレから出てきません。」
- 彼女がうちのアパートに来たかと思ったらトイレに入って出てこなくて、 何をしているかというと、異世界で勇者をしている話。
- 「ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。」
- そろそろ子育てエッセイなどというものを書いてみようかと思った次第。
- 「小説生成システム開発計画 - プロジェクトNUE」
- 計算機に小説、いや、使い物になる文章を作らせてみようという試みを、 勉強しながらやってます。
2007-05-28 [Mon]
▼ SPAM対策
trackback spamがひどいので、今更ながら色々対策。
linkcheck.rbをいれたので、最近のblogと同じように、「trackback送り元ページに、送り先URLが
書かれていないと弾く」ようになった、はず。
AntiRefererSpam pluginもいれたので、怪しいところからのリンクは表示しないようになった、はず。
コメント欄用のフィルタも追加してみたが、そもそもコメント欄は使えないようにしたままなので、これはまあ後々のためにってことで。
あと過去の記事のtrackback spamを削除。ついでにindex.rdfを作りなおした。
これで多少ましになってくれればいいのだが。
▼ 動と静
農相が自殺したり、ZARDが亡くなったり、アーツの社長がわいせつ行為で逮捕されたりと、様々なニュースが流れていった一日だった。その流れを追うだけでも神経が消耗する。全然自分とは関係ないニュースなのに。
しかし思うのだが、ネットを流れる情報や議論を見たり(人によってはその中に飛び込んでみたり)という行為は、ある種の共感を呼び起こすのではないだろうか。
時にマスコミなどで、インターネットでの薄いコミュニケーションにより若者達の他者への共感する能力が低下して云々という言説を見ることがあるのだが、いやむしろテレビの向こう側で情報が垂れ流されることに比べれば、ネットでの議論のほうが世間というものによほど関与しようという感覚が得られるように思う。少なくとも食事中に垂れ流されるテレビ番組のフレームの向こう側には、共感の余地がほとんどない。あっちはあっち。
情報量だけからしたら、HDの動画という高品質なメディアであるにもかかわらず、テレビは所詮向こう側で、テキストやYouTubeの荒い動画で構成されるネットの世界のほうが、よほどこちら側(自分たちの側)という感覚がある。
それゆえに、ネットの情報を眺めながら、誰が死んだとか、誰が不祥事を起こしたとかいうニュースを受け止めていると、精神が疲弊するのだろう。少なくとも今日の僕は、そんな感じの状態だ。
それはやはり疲れるので、外部からの情報を遮断して坐禅でも組んでみようか。